Itsukushima Perry

The history of the classical guitar scene in the Chubu region中部圏のクラシックギター界の歴史

中部圏(中京[三重県・愛知県・岐阜県・静岡県]・北陸[福井県・石川県・富山県]・甲信越[山梨県・長野県・新潟県])における、クラシックギタリストの活動ならびに系譜について作成しています。


下記の文章は、「ギターの友社」へ中野二郎[1902 - 2000]氏が寄稿された『みちくさ半世紀』からの[*転記」です。
この『みちくさ半世紀』は「ギターの友社」に連載されていたもので、マンドリン・ギターの歴史に関連される部分を抜粋しています。

尚、中野二郎氏の「活動の詳細は」2021年11月「中野二郎とマンドリン」 工藤哲郎編著として出版されています。



『みくさ半世紀 (8)』

『大正10年[*1921年]11月17日 商品陳列館のホール(当時音楽会は殆んど此処で開かれた)で二郎たち8人は生れて初めて聴衆を前にして楽器を弾いた。

弾き手の方がズット感激していた。

画は上手であったが弾くことはうまくない楢原とゆう男が『マンドリンを愛する』意味だと言って高工フィロドリンクラブと名を付けた。
音楽の経験の浅い者逹ばかりで、有名なオペラのひとふしをシャープを落として弾いても弾き手の方に誰も気づく者は無かった。

ヴァイオリンの上手な教授がききに来て指摘されても、皆自分逹が酔っているので、「シャープの一つや二つ」とゆう勢いだった。
二郎は父がこの演奏会にひそかにききにきていた事は後になって知ったが、二郎に向っては何も言わなかった。

学生たちには試験や設計製作があるのでその時機にはブランクになったが、二郎は益々勢いに拍車をかけていった。
反対に講義の方は次第に怠けていった。
がその代り次の企画、曲目撰択、印刷、ポスター、写譜一切二郎が引き受けた。
次第に何の為に学校に出てゆくのか自分でもわからないような様相を呈しつつあった。』




名高工フィロドリン・クラブ(中央マンドラが中野二郎)
※名古屋高等工業学校フィロドリンクラブ[1920年結成]

[*挿画]:digitalguitararchive/1959-45-ギターの友/『みちくさ半世紀(6)』P.29




『其頃伊藤とゆう弁護士夫妻[伊藤健(たけし)弁護士夫妻]が慶応出の林[林広純?]氏から指導を受けて、名古屋マンドリン倶楽部を組織し春秋に演奏会を開いていた。
二郎の熱心さをきき伝えて是非加入するようにとの御宜託だった。あなたの為にもなる、教えてあげられることもあるだろうとゆうわけである。
二郎は喜んで入会した。
林氏は既に東京に転勤していなかったが、クラブの人達は皆その教え子ばかりであった

二郎は共益商社の二階でマンドリンを教えることになったが、然し二郎はもう誰が何と言おうと学校をやめることに心を決めていた。
其の年の夏休み高エフイロドリンクラプは豊橋を振出しに国府、金沢、富山、中津川、津、和歌山に演奏旅行した。』



名古屋

名古屋マンドリン倶楽部(後列左端が中野二郎)

[*挿画]:digitalguitararchive/1959-47-ギターの友/P.31




※下の「挿画」:[digitalguitararchive/1959-47-ギターの友/みちくさ半世紀(8)/P.11] ”川瀬 晃 独奏会 (名古屋)”より。

[*]川瀬 晃については、中野二郎「みちくさ半世紀(8)」に記述がある。『その頃大阪で盛んに活躍していたギタリストで川瀬晃がいた。』



1925年(大正14年)5 月22 日『川瀬晃独奏会』名古屋で初めての独奏会

名古屋 川瀬 晃 独奏会

[*前列左より]:3人目 伊藤弁護士、中央 川瀬 晃 (大阪の住友肥料に勤務)、7人目 中野二郎、右端 河合 博(八校在学中)
[*後列左]:景文堂 主人
[*後列右]:ミハエリス教授 (名古屋医大講師)

[*挿画]:digitalguitararchive/1959-47-ギターの友/P.11

※上の「独奏会」実施年は『ギター古典の薫り』VOL.Ⅰ NO.3,1983/P.93-95




『河合(河合 博)は東京の大学に去りエトワールに入っていたが、その年マンドリンコンコルソに優勝した[*1]ので名古屋に招いての演奏会には二郎は根かぎり奔走した。 もみあげを長くのばした田中という指揮者がハデな指揮をしたが、チェロの斎藤、指揮の近衛などという人のイキがかかっているだけその頃のエトワールは立派であった。』

[*1]:オルケストラ・エトワール・・・斎藤秀雄氏が設立
[1924.11.30] 第2回全国マンドリン合奏団競演会(武井守成氏のオルケストラ・シンフォニカ・タケヰ主催)
オルケストラ・エトワール「詩的序楽」アネルリで、同志社大学マンドリンクラブ「ギリシャ風主題による前奏曲」ラウダスと同位優勝。



中部圏 年表

1924年当時の合奏団
[金沢]:医大マンドリン倶楽部 / アルペジョ・マンドリン・ソサエティー / 金沢高工校友会音楽部 / 四高マンドリン倶楽部 / 北辰会音楽部
[桑名]:桑名マンドリン倶楽部
[名古屋]:名古屋高商マンドリンクラブ / 名古屋高工マンドリンクラブ / 名古屋マンドリン倶楽部

[*]1924年10月8日時点の合奏団「マンドリン・ギター及其オーケストラ」武井守成より

1913年10月3日 中京音楽会 第1回演奏会 アドルフォ・サルコリ(テノール)・ヅブラウィッチ(ヴァイオリン)・パウロウスキー(ピアノ)
[田中常彦・佐藤信忠・間野真太郎(マンドリン)]東京マンドリンクラブより 大阪・神戸・京都・名古屋 演奏旅行。
愛知県商品陳列館
1920年(大正9年)春 名古屋マンドリン倶楽部 発足 [慶応出身 林氏による]
1922年(大正11年) 名古屋マンドリン倶楽部 第5回演奏会
1923年(大正12年) 中野二郎マンドリン独奏会 [名古屋で最初のマンドリンリサイタル]名古屋商業会議所
1924年(大正13年)2月8日 金沢アルペヂオソサイエティ第4回例会
1924年(大正13年)2月21日 名古屋マンドリン倶楽部演奏会
1924年(大正13年)5月3日 名古屋マンドリン倶楽部演奏会
1924年(大正13年)5月25日 桑名マンドリン倶楽部 第1回演奏会 
1924年(大正13年)7月3日 名古屋マンドリン倶楽部演奏会
1924年(大正13年)10月12日 桑名マンドリン倶楽部 第2回演奏会 指揮:中野二郎
1928年(昭和3年)10月20日 オルケストラカナザワエーゼ 第1回試演会『クインテット・ア・プレトロの夕べ』金沢市石黒ファマシー4階ホール 
1929年(昭和4年)11月2日 静岡アカシアナマンドリン倶楽部 第2回演奏会 静岡銀行集会所
1930年(昭和5年)11月8日 中野二郎独奏 共演:クエンテット・ア・プレットロ・フローラ(名古屋) 
1932年(昭和7年)?月??日 名古屋ギター研究会の創立 [見崎三郎・中野二郎]
1934年(昭和9年)3月31日 名古屋ギター研究会 第1回試演会 名古屋市キタレクラブ
ギター独奏:見崎三郎・歌とギター:中野二郎
1936年(昭和11年)11月16日 中野ギターマンドリン研究会 第2回試演会 名古屋市公会堂4階ホール
マンドリン五重奏(クラブドメニカ)/ギター独奏/マンドリン独奏/独唱・ギター三重奏/マンドリン五重奏
1937年(昭和12年)4月19日 クラブ・ドメニカ 5重奏 名古屋(全中)
マンドリン五重奏(クラブドメニカ)/ギター独奏
1941年(昭和16年)11月8日 中野ギターマンドリン研究会 第7回試演会 名古屋市公会堂4階ホール
マンドリン4重奏(山盛・平野・矢部・中野)/ギター独奏
1941年(昭和16年)12月7日 太平洋戦争勃発
1942年(昭和17年)3月13日 名古屋マンドリン楽団 
指揮 中野二郎
1945年(昭和20年)9月2日 太平洋戦争終結
1947年11月2日 名古屋マンドリン楽団演奏会の内(ギター二重奏:磯部金七・中野二郎) 
1947年11月12日 クルプ・デ・ギタアル演奏会
(南 秀雄・谷畑 広・平野公也・長尾大三・直井清広・白川純良・十楽 潔)
於 高山市民会館
1948年1月16日 小原安正独奏会 名古屋市
1948年2月7日 小原安正独奏会 名古屋市の各地
1948年4月6日 第1回ギター研究会演奏会
[名古屋ギターマンドリン協会] (講演:中野二郎・独奏:小原安正)
於 名古屋市東社会館講堂
1948年5月15日 名古屋ギターマンドリン協会第2回例会
[伊藤正吉・水野保一・上島春雄・和歌山政由・高橋その子・その他]
東社会館ホール
1950年8月12日 第1回名演奏家招待の夕 小原安正独奏 富山観光会館
1952年5月25日 ギター友の会試演会 名古屋YMCAホール
1952年6月22日 伊藤ギター教室 第1回『ギター音楽を楽しむ会』 岐阜市
1952年8月10日 大阪生野小学校ギターアンサンブル発表会 岐阜市
1952年8月31日 溝淵浩五郎ギター独奏会 名古屋YMCAホール
1952年9月27日 チェロとギターのジョイントコンサート(井上頼豊・小原安正) 富山市
1952年10月5日 中野二郎門下試演会 名古屋YMCAホール
1952年10月5日 ギター友の会第2回試演会 名古屋YMCAホール
1952年11月9日 岐阜ギター・マンドリン連盟秋季演奏会 岐阜商工会議所
1952年12月7日 田村敏夫門下第6回試演会 名古屋YMCAホール
1953年5月10日 田村ギター研究所第7回試演会 名古屋YMCAホール
1953年6月7日 ギター・マンドリン城山教室試演会 名古屋商工会議所
1954年6月5日 田村敏雄ギター研究所 第9回試演会 名古屋YMCAホール
1954年7月11日 岐阜ギターマンドリン連盟主催演奏会 明徳公民館(岐阜)
1955年11月13日 田村敏雄ギター研究所 第12回試演会 愛知県美術館(名古屋市)
加藤操・望月英夫・本間隆・戸田昇
1956年11月4日 田村門下発表会[岡田千鶴子・岡本昌之・本間隆・望月英夫・戸田昇] 名古屋
1956年12月2日 ギター二重奏の夕 (豊橋) 河合敏満・蜷川祐次/河合敏満・鈴木章光(ヴァイオリン)
1957年4月20日 酒田クラシカル・ギター教室演奏 (NHK鶴岡放送局)
1957年6月16日 田村敏夫門下第15回試演会 愛知県美術館
1957年6月22日 第7回『ギター音楽を楽しむ会』伊藤尚夫・荘村正人・荘村清志ほか 岐阜タイムスホール
1957年12月2日 ギター二重奏の夕[河合敏満・蜷川裕次]/鈴木章光(バイオリン)・河合敏満(ギター) (豊橋)
1958年11月1日 イトウ・ギタートリオ演奏会(伊藤尚夫・荘村正人・堀博) 岐阜市
1958年11月12日 ギター音楽研究発表会 静岡県民会館ホール
1959年5月29日 アンドレス・セゴビア演奏会 名古屋市
1959年7月4日 小原聖子ギター独奏会 新潟市大和ホール
1960年5月17日 遠藤純江独奏会 新潟市
1960年9月24日 奥田紘正演奏会 名古屋市
1960年11月17日 ナルシソ・イエペス ギター演奏会 名古屋市公会堂 主催:中部日本新聞社/中部ギター・マンドリン協会
1960年12月16日 田村敏雄門下発表会 名古屋市
佐々英一・戸田昇・伊神義行・森善郎・丹村みなみ・花木一男・加藤操・牛田武司・矢入陽子・野崎勇 ・他
1961年10月22日 イトゥ・ギタートリオ演奏 岐阜市
二重奏ー伊東尚生・荘村正人 / 三重奏ー伊東尚生・堀 博・武山勇
1961年12月11日 田村敏雄門下生発表会 名古屋市
牛田武司・加藤操・丹村みなみ・森善治郎・岡田千鶴子・山田行子・鈴木加代子・高木千鶴子・伊藤泰彦・森永千吉・他
1963年5月9日 ナルシソ・イエペス リサイタル  於 名古屋市公会堂(名古屋市)
1963年5月??日 豊橋ギターサークル研究発表会 豊橋市/font>
朝倉和久・伊藤紀男・仲原正之・星川英一・吉田三行・松井利通・西沢喜六・夏目利美・田中利造・八木清・渡辺正司・加藤一郎。
1966年12月5日 アリリオ・ディアス ギター演奏会(Bプロ) 名古屋
1967年3月9日 阿部保夫ギター演奏会 浜松市民会館
1967年4月??日 静岡ギター音楽協会結成 会長:神谷典孝
1967年6月2日 東京ギターアカデミー学生演奏会 中小企業センターホール(名古屋)
1967年6月27日 『ギターの祭典』 中小企業センターホール(名古屋)
1967年7月9日 横尾幸弘ギター演奏会 浜松市民会館(浜松)
1967年12月8日 中部日本ギター協会第1回新人演奏会 中電ホール(名古屋)
1967年12月17日 岐阜ギター室内楽団第6回演奏会 養心会館(岐阜)
1968年1月14日 第1回全日本マンドリンマンドリン独奏コンクール
1968年9月17日 中林淳真ギターリサイタル 浜松児童会館
1968年9月18日 中林淳真ギターリサイタル 静岡県民会館
1968年9月18日 ジョン・ウィリアムス ギター演奏会 名古屋CBCホール
1968年10月25日 中部日本ギター協会第2回新人演奏会 中電ホール
1968年12月3日 中部日本ギター協会第3回新人演奏会 中電ホール

[*参照]マンドリンとギター研究資料
[*参照]1947-12-No.1~1959-08-No.21[ギタルラ]



※見崎三郎 [名古屋市]
[生年月日] 明治39年1月29日
[演奏楽器]ギター
[所属団体]クヰンテット・ア・プレットロ・『フローラ』
[楽器歴]名古屋高商マンドリンオーケストラを在学中に組織して指揮。中野二郎氏は七年来の友人。



1948年当時の『ギタリスト名簿』
:中野二郎(名古屋市)・佐藤信夫(名古屋市)・前田桂三(製作家・名古屋市)・小林 博(愛知県愛知郡日進村)・新井久雄(富山市)

[*転記]:digitalguitararchive/1948-02-No.2/1948-05-No.3



1957年当時の『ギタリスト名簿』
:鈴木正之(静岡県三島)・河合敏満(豊橋市)・中野二郎(名古屋市)・田村敏雄(名古屋市)・蜷川裕次(半田市)・伊藤尚夫(岐阜市)・長坂 一(高山市)・土屋俊三(多治見市)・佐藤裕彦(新潟市)・仁科清次(長野県野沢市)・安多俊希(金沢市)

[*転記]:digitalguitararchive/1948-02-No.2/1948-05-No.3



1960年当時の『ギタリスト名簿』
:鈴木正之(静岡県三島)・望月和市朗(静岡市)・石上浩二(静岡市)・河合敏満(豊橋市)・加藤隆(名古屋市)・木下一男(名古屋市)・中野二郎(名古屋市)・田村敏雄(名古屋市)・蜷川裕次(半田市)・加藤操(名古屋市)・戸田昇(名古屋市)・伊藤尚夫(岐阜市)・長坂 一(高山市)・土屋俊三(多治見市)・佐藤裕彦(新潟市)・仁科清次(長野県野沢市)・斉藤三郎(金沢市)

[*転記]:digitalguitararchive/1948-02-No.2/1948-05-No.3







1959年4月20日 『ギター音楽功労者賞』中野二郎氏

ギター音楽功労者受賞

[*左より]:大西博愛・蜷川裕次・奥田紘正・阿部保夫・玖島隆明・佐々木政夫・永田哲夫・京本輔矩
玖島たづ子・小船照子・小船幸次郎・中野二郎・溝淵浩五郎・比留間絹子・玖島紗江



[*挿画]:digitalguitararchive/1959-47-ギターの友/P.11




1959年5月29日 11時半 アンドレス・セゴビアを迎えて

アンドレス・セゴビアを迎えて


[左側より]:セゴビア・荘村清志・荘村正人・伊藤尚夫・右端:岡田峻(通訳)、他に田村・首藤・小原安正氏が駅に迎えに出た。

► 1967年 中部日本ギター協会結成◄

昨秋より発起準備人により結成準備を進めてきた「中部日本ギター協会」は12 月末現在で,教授者,演奏家を主体とした約90名の加盟参加を得て, 1 月1 5 日に名古屋市の“名古屋観光会館”に愛知,岐阜,静岡,三重など各地の55 名の出席のもと,設立総会を挙行した。
1 時より4 時過迄,協会設立に関する規約等の審議などの末,可決して正式に協会の発足を宣言して閉会。
引続き40 分余に亘り中野二郎先生の特別講演「M ・ジュリアーニについて」があり一同感銘を深くした。
終了後,別室食堂の華やかに飾られた会場で「中部日本ギター協会設立祝賀懇親パーティー」が, 和やかな芥囲気の裡にいつまでも続けられた。


(役員)
[会長]:   中野二郎
[副会長]:  伊藤尚生・田村敏雄
[理事]:   荒井史郎・磯部金七・神谷典孝・木下一男・中田照二・花木一男・武山勇
[監事]:   川辺静流・戸田昇
[運営委員]:  近藤洋令・後藤昌治・武山勇・望月英男




1967年12月8日 中部日本ギター協会第1回新人演奏会


[後列左より]:3人目 新井史郎・伊藤尚夫・中野二郎・田村敏雄・[1人置いて] 蜷川裕次・磯部金七

1967年 第1回新人ギター演奏会 12月8日(金)
[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090


■第1回新人ギター演奏会 
   12月8日(金)PM6:00/中電ホール/入場料200円

<プログラム>

1 中川一夫(滋 賀)   ガボット(バッハ)
2 浅井俊雄(愛 知)   魔笛の主題と変奏(ソル)
3 山田武男(名古屋)   アレグロスピリット(ジュリアーニ)
4 渡辺英司(岐 阜)   前奏曲No.4と1
5 野村芳生(名古屋)   アリアと変奏(フレスコバルディ)、4つの前奏曲より(ターレガ)
6 太田貞己(名古屋)   アルマンデとジーグ(バイス)
7 吉本光男(名古屋)   アストリアス(アルベニス)、エチュード(ソル)
8 鹿野誠一(名古屋)   スペイン舞曲No.10(グラナドス)
9 小島浩侍(岐 阜)   アリアと変奏(フレスコバルディ)
10 早川昌治(名古屋)   幻想曲(ソル)
11 内生蔵幹(岐 阜)   スケルツィーノ・メヒカーノ(ポンセ)、前奏曲(バッハ)
12 芝尾亨助(愛 知)   魔笛の主題と変奏(ソル)
13 筧  優(静 岡)   ソレアレスとファンダンギリョ(トゥリーナ)
14 工藤恵一(岐 阜)   アストリアス(アルベニス)
■その他 【ロゼッタ】No.1(4/15)~No.9(12/8)[後藤昌治担当]
【会員総数】84名+3組(S41年12月31日発行名簿より)
  <名古屋41名、愛知15名、岐阜16名、静岡7名、三重2名、石川1名、富山2名、その他組合3組>
【会  費】入会金500円、年会費1200円

<第1期役員>
会長  中野二郎
副会長  伊東尚生 田村敏雄
理事 荒井史郎 磯部金七 神谷典孝 木下一男 中田照二 花木一男
運営委員 武山 勇(兼理事) 望月英男 近藤洋令 後藤昌治
監事 川辺静流 戸田 昇

[*転記]:中部日本ギター協会HP / 中部日本ギター協会のあゆみ より



1968年1月14日 第1回全日本マンドリンマンドリン独奏コンクール


1968年1月14日 第1回全日本マンドリン

[前列左より]:高橋 功・小西誠一・服部 正・中野二郎・入賞者4名・田中常彦・鈴木静一・鳥井諒二郎・伊藤尚夫

1位:(片岡道子)仲尾次道子・2位:田中早苗・3位:堀野敏子・次席:新井義悠

[主催:フレット社]

[*参照]:日本マンドリン独奏コンクールのあゆみ




1968年12月3日 中部日本ギター協会第3回新人演奏会 中電ホール

[出演者と曲目]
●小松章男(浜松)前奏曲第一番(ロボス) /スペイン舞曲第5 番(グラナドス)
●大西錠二(名古屋)アルハンブラの思い出(タルレガ)
●福井恵子(名古屋)ガボット(スカルラッティ) /セレナータ(マラッツ)
●酒井康雄(岡崎)シャンソンとワルツ(ボンセ) /前奏曲(バッハ)
●中西幸男(松坂)ロンド・アレグレット(ソル) /ダンサ・モーラ(タルレガ)
●木村正彦(名古屋)練習曲12番(ソル)練習曲第1 番(ロボス)
●首藤恵(上野市)幻想曲作品7 (ソル) /マリエッタ(タルレガ)
●遠藤和夫(浜松)グラン・ソロ(ソル)



新潟市の巻 佐藤裕彦,『お国だより』より

(2)愛好者研究者の現状
目下私の聞いている限りでは、北越製紙kk労働組合にギター部があり、 又最近第四銀行でギター教室を始めたとかですが、演奏はどちらも聞いた事がありません。
私はアマチュアとして練習所を開いて大分過ちますが、なかなか上達しませんので、時折東京の先生方に来て頂いて発表会を催す事にしています。
昨年は6月に人見徹氏に賛助出演して頂きました。
其の他3,4人で合奏部員を組織して、時々NHKのローカル放送に出演しています。

(3)将来への抱負
一般にギター音楽を聞かせる為には、大衆に良く知られている曲を撰び、一人でも多くの人に聞いて貰わなければならないと思います。
唯々演奏者自身の音楽であったり、 又、ギター愛好家のみの演奏会であったり放送であってはならないと思います。
ギターを未知の人の誰でも興味を党え、関心を持たせる派奏でなければ、これからのギター音楽の普及は絶対に望めない事と思います。 束京、大阪地方の演奏会のプログラムをよく拝見致しますが、当地などで考えますと、よくもまあ聴衆が有ることかと驚かされます。 二年程前小原安正氏の演奏会を当地で催しました際の曲目にも、ポビュラーなものを2、3曲混ぜて頂きましたが、会が終ってから 一般 の人に感想を聞きますと、クンパルシータを聞いた丈でも価値があった等という人がどの位居たかわかりません。 演奏家にとって、実力以上の難曲を演奏する事が無理なのと同様に、聴衆も又理解出来ないものを聞く事は無理だと思います。

digitalguitararchive/1956-07-ギターの友/P.15



伊藤尚夫夫妻と月村嘉孝

伊藤尚夫夫妻と月村嘉孝

[左側より]:伊藤夫人・月村嘉孝・伊藤尚夫

[*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090


岐阜市の巻 伊藤尚夫,『お国だより』より

(2)愛好者と研究者についての経過と現況
私が大阪より岐阜市民病院へ赴任して参り ましたのは昭和16年4月で、 その後1人,2人と愛好者が集り、第一回発表会を開催したのは昭和18年5月21日でありました。
終戦後の第一回は昭和21年10月13日に行い、その後は大体年に1回くらい発表会を行っております。
一人でも多くの愛好者を作り、 少しでもギター音楽を向上させるぺ<努力をして来ましたが、仲々思う様に行かず微力を悲しんでいる次第であります。


(3)最近の演奏会と主なプロ
発表会は大体年に1回ですが、昨年より4カ月毎に1回、小生経営の病院ホールにて試演会を催し、あとで討論会をやる事にして居ります。
曲目はタルレガ、ソル、セゴビア編曲のもの或はプジョール等が主で、其の他武井守成先生、中野二郎先生等の作品が研究して貰っております。

(4)将来への抱負
我々の研究会ではまだ所謂現代曲にはあまり手をかけておりませんが次第に研究の歩みを進めたいと思っております。
ヴァイオリソとビアノとの二重奏の様にギターの方面では立派なアンサンブルがない様に思われますが、将来こうしたギター二重奏、三重奏の立派な演奏が聞かれる様”になれば、何んなにか楽しいことでしょう。
同じく岐阜市に住まれる非常に熱心な ギター愛好家の荘村正人君(中央法規出版 株式会社 社長)と二人で先月より二重奏を 勉強しております。
右の様な主旨の先鞭ともなれば幸いであります。
尚名古屋N H Kよりギターと他の楽器例 えばヴァイオリン、フリュ ート、ビオラ、チェロ等との二重奏、三重奏、四重奏等が5中野二郎先生によって時々放送されていますが、誠に楽しく、 か様な方面にも這入って行き度いと考えております。

digitalguitararchive/1957-19-ギターの友/P.15



GUITAR


このページでの紹介人物 : 中野二郎 田村敏夫 伊藤尚夫 荒井史郎  荘村正人 戸田昇





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中野二郎
1959年頃 当時の中野二郎
[*挿画出典]:1959-06-06-Armonia

中野二郎 [Jiro Nakano]

中野二郎

  • 1902年-2000 年明治35年-平成12年
  • 1902年(明治35年)4月10日 愛知県瀬戸市に生まれる。
  • 1920年(大正9年) 愛知県立工業高等学校図案化卒業。
  • 1920年(大正9年) 名古屋高等工業学校建築科助手となる。
    初任給で買ったマンドリンに魅せられ独学でマンドリン・ギターを習得。
    名古屋高等工業学校フィロドリンクラブを結成。
    指揮・独奏。全国各地で演奏活動開始。
  • 1920年(大正9年) 初めて「子どものうた」を作曲。以来約550曲。
  • 1928年(昭和3年) ナゴヤマンドリン・オーケストラを結成。指揮・独奏。
    (1939年に名古屋マンドリン合奏団に改称)
  • 1931年(昭和6年) 沢口忠左衛門氏を訪ね来仙。NHK仙台放送局にて「春が来た変奏曲」を演奏,ラジオ放送。
  • 1935年(昭和10年) 名古屋クラブドメニカ・マンドリン五重奏団を結成。(以来1964年までにギター,マンドリン独奏,室内楽などでラジオ放送235回)
  • 1936~1939年(昭和11~14年) 「ギター・マンドリン界」創刊。

中野は独学でギターを学んだが、24歳(7年間の勉強の後)の頃にはコンサートを始めていた。
1926年7月に行われた最初のコンサートでは、幅広いジャンルの曲が演奏された。

・フェルディナンド・カルッリの セレナーデOp.96 (2G)
・ナポレオン・ コステ ヴァルスのお気に入りOp.46
・フェルディナンド・カルッリ マ ・ノルマンディーOp.364
・アントニオ・カノ・エル ・デリリオ
・ホセ・フェレール・ ミシヴァ・アフェクトゥオーサOp.58
・ベンヴェヌート・テルツィ・ セーラ・ディ・マッジョOp.2
・フェルディナンド・カルッリ・ ロンドーOp.302 (2G)
・Calace Prelude No.9 Op.110 (マンドルート)

田村敏夫
1960年代 田村敏夫
[*挿画出典]:1960-50-ギターの友

田村敏夫 [Toshio Tamura]


 

田村敏夫 [ 1911年(明治44年)1月1日 - ??]

  • 1949年5月10日   「第1回ギターコンクール」に出場         
  • 1952年12月7日   田村敏夫門下第6回試演会 名古屋YMCAホール
  • 1953年5月10日   田村ギター研究所第7回試演会 名古屋YMCAホール
  • 1954年6月5日   田村敏雄ギター研究所第9回試演会 名古屋YMCAホール
  • 1955年11月13日   田村ギター音楽研究所 第12回発表会 於 愛知県美術館
  • 1956年11月4日   田村門下発表会[岡田千鶴子・岡本昌之・本間隆・望月英夫・戸田昇] 名古屋
  • 1957年6月16日   田村敏夫門下第15回試演会 愛知県美術館
  • 1960年12月16日   田村敏雄門下発表会 名古屋市
  • 1961年12月11日   田村敏雄門下生発表会 名古屋市
  • 伊藤尚夫
    伊藤尚夫
    [*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
    発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090

    伊藤尚夫 [Hisao Ito]


    伊藤尚夫(いとう ひさお) [????-1998]

    • 1952年6月22日 伊藤ギター教室 第1回『ギター音楽を楽しむ会』 岐阜市
    • 1952年11月9日 岐阜ギター・マンドリン連盟秋季演奏会 岐阜商工会議所
    • 1954年7月11日 岐阜ギターマンドリン連盟主催演奏会 明徳公民館(岐阜)
    • 1957年6月22日 第7回『ギター音楽を楽しむ会』伊藤尚夫・荘村正人・荘村清志ほか 岐阜タイムスホール
    • 1958年11月1日 イトウ・ギタートリオ演奏会(伊藤尚夫・荘村正人・堀博) 岐阜市
    • 1961年10月22日 イトウ・ギタートリオ演奏 (二重奏ー伊東尚生・荘村正人 / 三重奏ー伊東尚生・堀 博・武山勇) 岐阜市
    • 1967年12月8日 中部日本ギター協会 第1回新人演奏会 開催 中電ホール(名古屋)
    • 1968年1月14日 第1回全日本マンドリンマンドリン独奏コンクール 開催(FRETS社)
    • 平成7年4月17日 表彰日
    • 1998年(平成10年)12月24日逝去
    • 岐阜マンドリンオーケストラ[ GMO ]創設者
    • 日本マンドリン連盟会長に就任し国内外でマンドリンの普及に努めるとともに、演奏活動を通じて文化交流を推進されました。

      ■岐阜県マ ン ドリン協会の成立 を祝って
      [会長] 伊 東 尚 生
      昭和 29年 12月 GMOの 結成を見て、昭和 30年 岐阜マン ドリン協会を作 りGMOを 所属させていま した。
      当時はマン ドリン合泰団としては我々のGMOのみでありましたが、次に出来たクラブは常谷高女であったと思います。
      そ して しばらくして、岐大、薬大に出来、次々に他大学に及び、現在では高校にす らも出来ています。
      こうした現情を思 う時、もう既に名称のみの協会となつたため、一昨年秋一且開散 して、昨年の 2月 28日 に岐阜県と云つても市内のマン ドリンクラブが主とな りますが、別配のクラブの代表者に集まっていただいて岐阜県マン ドリン協会 と名称を改めて規約を決定 し、再出発 した次第であります。
      そ して4月 11日 には再度の会合により別項の様な役員がきま りましたので、お互い趣味の集ま りとは云えお忙 しい事と思いますが、お互いについて新 しい行進をしたいものです。
      岐阜県には合唱連盟、吹奏楽連盟等は既に古 くか ら存在 していますので、おそまきではありますが、之等の連盟とも連絡を取 り、又全国的組織の日本マンドリン連盟の一細抱 となつて、岐阜県内のクラブがまとまって、マン ドリン音楽の向上、発展に、又一般への認識高協に努力して行きま しよう。


      [著書]:パスカル・ロッチ著 「最新ギター奏法」月村嘉孝註・伊藤尚生訳 [刊行:岐阜ギター音楽研究会  昭和30年]

    荒井史郎
    荒井史郎
    [*挿画出典元]:『写真で見る日本ギター史』1992年3月30日初版発行
    発行所:現代ギター社/安達右一・監修【GG番号】GG090

    荒井史郎 [Shiro Arai]


     

    1930年2月16日 - 2019年4月12日

    荒井史郎 | プロフィール | HMV&BOOKS online |
    昭和5年(1930)2月16日、名古屋市に生まれる。
    1956年 創業
    1960年 アリア ブランド発足
    1963年 エレキギター販売に着手

    ※エレキ販売当初はソリッド(ビザール)ギターが中心であったが、すぐにセミアコ・フルアコを主軸に置き換えるという販売戦略にシフトする。製作は『マツモク工業』

    1964年 国内向け国産楽器の販売に着手
    1966年 アリア・ダイヤモンド ブランド発足⇒商標の問題でアライ・ダイヤモンドに改名

    ※この時期のエレキギター及び関連商品は『Aria Diamond』ブランドを使用している場合が多い。
    1975年 アリアプロⅡ発足

    ●「中部日本ギター協会設立」
    10月25日、上記趣意書を中部地区のギター関係者宛に送付。
    発起相談人:中野二郎、田村敏雄、伊東尚生、荒井史郎
    発起準備人:後藤昌治、望月英男、近藤洋令、武山 勇
    荒井貿易 (株) 相談役, 中部日本ギター協会名誉会長, ジャパンギターアソシエーション会長

    ラミレス・ギターやオーガスチン弦の輸入など、クラッシックギター 関連の輸入業のパイオニアである荒井貿易株式会社の創立者、荒井史郎が 長年にわたる自身とギター業界との関わりを、時代を追って綴った自叙伝。

    中野二郎、オーガスチン、セゴビア、河野賢、渡辺範彦・・・・、ギターと人が 織り成す豊富なエピソードと、貴重な写真満載。

    荘村正人
    荘村正人
    [*挿画出典]:1960-50-ギターの友

    荘村正人 Masando Shomura

    • 1912年-没年不詳

    1912年(大正元年) 岐阜市生まれ。
    (社) 日本ギター連盟副会長

    [書籍]
    朝の散歩【荘村正人=ギタリスト・中央法規出版会長】1986年



    1957年6月22日 岐阜ギター研究会[第7回ギターを楽しむ会]:伊東尚生、荘村正人二重奏
    1966年(昭和41年)から  日本マンドリン連盟成立に協力  杉田 村雄、高橋三男、荘村正人
    1958-05-04-Armonia

    本誌 3・4月号に伊藤尚生先生がコンクールを全国的に統一したらどうかと書いておられますが、まことに時宜にかなった提案で、是非今秋か来春を目途に全国統一コンクールがなされることをギター界のために心から祈っています。
    それには何と申しましても人格高いいわゆる 長老の方々(御尊堂とか、名古屋の中野さん、岐阜の伊藤さん 、東京の高橋三男さん、平山さん、大阪の月村さん、九州の岩橋さんなど)[*1]一度是非一堂に会して発起していたゞけるといいと思います。
    今度のゴンサレスの場合をみると日本にも随分ギター愛好家がふえたことが推察されます。
    前記コンクールで全国が統一されれば、その力で次々と外国演奏家を招くことも困難ではないでしよう。ー大連盟の成立を切望する次第です。  

    [*1]高橋功氏、中野二郎氏、伊藤尚夫氏、高橋三男氏、平山氏、月村嘉孝氏、岩橋正和氏


    1968年:ギター日本 09ジョン・ウィリアムス特集

    荘村正人(東京)
    ジョン・ウィリアムスが来演するということに一番期待するのは,何と言ってもテクニックの完璧さということだと思います。
    日本人の演奏技術も随分と高くなって参りましたが,未だ未だ私達はこの機能主義を追求していかねばならないと存じます。
    早い話がNHK 教育テレビの「ギター教室」と「ピアノ」「バイオリン」の稽古に出て来る生徒さん達の技術の水準を比較してみますとそれが直ぐ判ります。

    もっともギターを習う多くの人達の中にはテレビのピアノ或いはヴァイオリンの中等程度以上の技術をもった方々もあることは確かでしょうが,然し残念ながら今のところその数が非常に彫ない為にあの限度の「教程」でなければならないのでしょう。
    この問題をも少し掘下げて機能主義を拡大させるには,昔から言い古された言葉ですが「芸ごとは子供のうちから」ということになるような気がいたします。こおいう情勢のところへ幼少からギターを手にしたウィリアムスのような完璧な技巧の持主が,その演奏を披露してくれることは, 日本のギター界にとって大変有意義なことだと思っております。

    次に前回来日の折感じたことは,バッハ前後の古典曲において示した非常に格調の高い演奏に驚いたのですが,反面アルベニス等の民族性の強い曲については油こさがないという点で物足らないものを覚えましたが,これらの曲が今回の来演でどう変っているか,或は変っていないか,この辺が一つの聴きどころだと私は思っております。

    プログラムB の「テルプシコール」からの三つの舞曲…・・・ミカエル・プレトリウスを聴いたことがありません。
    現代曲であろうと古典曲であろうと聴衆の共鳴をかちとる曲が一つでも多く紹介されることは有難いことです。
    その意味でこの曲に期待しています。


    戸田昇
    戸田昇
    [*挿画出典]:1960-50-ギターの友

    戸田 昇 [Noboru Toda]


     

    戸田昇 [ - ]
    愛知 戸田昇 1. 子供の頃から音楽は好きでありオルガンを弾いていた事もあ りました。然し戦時中は全く音楽とは離されてしまい戦後にな つて何か自分で演奏出来たらと思いました。一番手軽に取付け る楽器と思つてギターを手にした訳でクラシックギターは全然 知らなかったのです。偶然家に近いと言う理由で田村敏雄先生 に師事した事が現在の私を作り上げた結果となりました。

    06-ギター日本/P.31

    • 1957年1月14日 ニューイヤー・コンサート
      「ギターの友社新人努力賞」記念演奏
      戸田 昇・勝俣正治




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